第1話 「モノ」の見方について (1)
2012年5月22日
なぜこの話をエッセイの最初にしたか。
それは、私がトヨタ方式と出会ったときに、最初に鈴村喜久男さん(故人、元トヨタ自動車㈱主査)に言われた言葉である。
「近藤、おまえはモノの見方を知らない! アメリカの大学院を出ているらしいが、何も知らない。始めからやり直せ!」(実はもっとひどい言葉で言われた)
それは、その日(1970年の秋)に初めて大野耐一さん(故人、元トヨタ自動車㈱副社長)に呼び出されてお伺いしたときだった。大野さんが鈴村さんに「近藤を現場に連れて行け」と指示され、トヨタ自工本社のシャシー組立ラインに連れて行かされた。組立ラインに立って、鈴村さんは、「近藤、1分間にムダが何個見つけられるか 俺と勝負しよう」と言った。
私は6個見つけた。鈴村さんは私が数えただけで40個以上、50個くらいは見つけた。
そして言われた言葉が前述の「おまえはモノの見方を知らない!」である。
「見る」ということは、即ちその人自身の脳に蓄積された視覚データによって、見えるものが左右されるのである。
私の場合、笠信太郎著「モノの見方について」を留学前に読み、頭では理解したつもりであったが、それが自分の脳に蓄積されていなかったと言わざるを得ない。
「モノの見方の体質化」は自分自身が謙虚になって反省し、始めからやり直すことを数年続けて少しずつ造られていく。(特に私の場合)
宮本武蔵の「観の目は強く、見の目は弱く」は言葉としては知っていた。だがこの言葉の意味することを「これなんだ!」と初めて体験から理解できたのは、数年後カローラのモデルチェンジで生産準備期間を36カ月から24ヶ月へと短縮したときであった。
鈴村さんに言われてからしばらくして、大野さんと会った時「モノの見方の体質化」について質問したことがある。その時、大野さんは「子供の頃の様に、何も知らない脳にして
(白紙にして)モノを見なさい。そうすればモノや現物が教えてくれる。その内にこれは
少し変だ、なぜだろうと疑問が自ずから湧いてくる。このなぜ(Why)が大切だ。この
Whyを数回繰り返すと本質が観えてくる。」
頭ではなく、体得こそが基本である。(最近は流行らないが・・・)
(近藤 哲夫)
プロローグ
2012年5月22日
改善エッセイの連載致します。
2011年の東日本大震災以降、日本のSCMは崩壊したと言われました。特にトヨタ生産方式を導入した多くの企業で、「必要な時に必要なモノしか作らない、運ばない」考え方により在庫が無くなり生産停止が広がった、というトヨタ生産方式を否定する意見が多くのマスコミの論調となっていました。 トヨタ生産方式の手法を導入しさえすれば、何でもうまくいくという手法万能の考え方が背景にあると思われます。手法の導入は、それが成り立つための条件があります。単に押し付けるだけではうまくいきません。条件が変わればそれに合わせて手法を変えていかなければなりません。手法は変わるモノ、変えていくモノであり、その際重要なことは、その手法がどういう背景、考え方で生まれたのかということです。
トヨタ生産方式がどの様な時代背景での中、どの様な考え方の下で生まれてきたのか、実体験を交えたエッセイ形式で皆さまにお伝えしていきます。
(近藤 修司)