私どもケーズエンジニアリングでは、トヨタ生産方式の考え方による改善コンサルティングを通じ、数多くの改善リーダーを育成するサポート活動をさせて頂いております。

改善エッセイ

第116話 サピエンス (6)

2017年3月14日

1.拡大するパイという資本主義のマジック

 

    近代経済を一言で語るとすればそれは“成長”という一語であると言う。

    歴史の大半を通じて、経済の規模は一人当たりほぼ同じであった。

    確かに世界全体の生産量は増加した。

    それは、その大部分は人口増加と新しい土地の開拓によるもので、

    一人当たりの生産量は殆ど変化しなかった。

    所が、これが近代になると大きく変化する。

    紀元1500年頃の世界の財とサービスはほぼ2500億ドルと見られている。

    それが今日は6兆ドル当りと見積もられている。

    約240倍の大きさである。

    人口はそんなに増加していない(せいぜい数10倍)ので、その差は“成長”

    のよって成し遂げられたと考えられる。

    一人当たり生産量は1500年で550ドルに対し、2000年は8800ドル、

    約18倍が“成長”の賜物である。

    その“成長”を支えたのは個々の取引の信頼である。

    即ち未来への信頼に対する投資、これを“信用”CREDITと呼んだ。

    未だ実現しない未来に対し、例えば新工場建設の融資をすることは

    正に信用がないと出来ない。

    この信用によって生産量は10倍以上に増加した。

    なぜ近代以前にこの信用供与が行われなかったか?

 

    信用供与は昔からあった。

    しかし近代以前の人々は未来を信じなかったのである。

    多くの宗教は「未来は今より更に悪くなる、悪くならない為に

    この宗教を信じなさい。」と布教していたのである。

    仏教でも“未来は末法の世界であり、これを救う為に弥勒菩薩が現れる”

    といった未来論を出している。

    未来は現在より悪くなるという考え方は必然的に高金利、短期、少額と

    いった信用給与になる。

    未来は夢がある、明るいとなるのは近世以降である。

    現代は信用が更に信用を生み、それによって経済全体のパイが拡大していった。

    世界経済は決してZERO SUMの世界ではなかった。

    これを“進歩”と呼んだ。

    *ZERO SUM ;パイの大きさが決まっていて、1人が多く取ると

                    他は取れなくなる。短期でみるとZERO SUMの

                    現象が頻発する。

 

    1-(1)経営資本家は大いに稼いで、稼いだお金を再投資しなさい

              (A.スミス)

    1776年アダム・スミスは国富論を出版した。

    上記の言葉はこの本に出てくる。

    それ以前の考え方は、従業員を使って得た利益を独り占めするのは

    利己主義で余り良く言われなかった。 

    ところが得た利益を機械購入や新規従業員の採用などで資本が循環する。

    この循環は即ち信用の循環でもあり、そのスピードが早ければ早いほど

    経済のパイは早く大きくなる。

    即ち自分の利益の為の行動は利己主義ではなく利他主義である。

    経営者はより多く儲けて、より多く再生産の為の投資を行いなさいと。

    この本は現在の世界の大学の経済学部ではいわば入門書として熟読されている。

    しかし近世前期は利己主義即利他主義の考えは無かった。

    その頃の横行は、儲けたら城を造ったり、夜会の繰り返しを行っていた。

    少しも再生産に役立たなかった。

   

    まとめ

    ◎生産利益は生産増加のために再投資しなければならない。

    これはまた資本主義の第一原則である。

    それ故に経済成長は至高の善である。

    しかし経済成長が永遠に続くと思う?

    資本主義者は永久に続くという信念を持っている。

    持っていなければやっていけネーヨ。

 

   1-(2)スペイン、そしてオランダ、イギリス

   スペインがアラゴンとカテリーナを一緒にして王国を造ったのは

   1479年である。

   (アラゴン王フェルナンドとカテリーナ女王イサベルの結婚による)

   クリストファ コロンブスが西に向かってインド、中国に早く着く為の

   艦隊の資金を援助してもらうための提案を、ポルトガル、イングランド

   イタリヤ、フランスに提出したが、リスクが高いとして全て断られた。

   最後に新興国だったスペイン女王イサベルを頼った。

   結果はアメリカ大陸の殆ど(除くブラジル)がスペイン王のものとなった。

  (1479年)

   多くの金銀鉱山の開発、タバコ、サトウキビのプレンティションの建設により、

   思いもよらない富を得て、スペインはヨーロッパの大国となった。

   16世紀には、スペインは無敵艦隊を持った世界大国となった。

   オランダはスペインの属国であった。

   オランダはプロテスタント、スペインはカトリックであり、

   1568年独立戦争を始めた。(1581年オランダ独立)

   オランダの勝利の原因は”信用”であった。

   兵隊は陸、海軍共傭兵部隊で、それでスペインと戦わせた。

   傭兵と艦隊の資金は全て信用で外部より調達した。

   オランダ人は貸付に対する期限内返済を厳守し、貸し手を安心させた。

   次にオランダは自国の司法制度を改善し、独立の享受と私有財産の権利を保護した。

   それに反してスペイン帝国は返済の約束を守らなかったりした。

   資本は当然のことながらスペインから流出し、戦争の負担に耐えられなくなった。

   1568年無敵艦隊はイギリス海軍に撃破され、スペイン帝国は海上覇権より脱落した。

   海上はイギリスとオランダの両国の覇権となった。

   スペインは“信用”されなかったのである。

 

   投資家の利益の為に行われた戦争は、まずは、1821年のギリシヤ人の

   オスマントルコに対する反乱(独立)において、ギリシヤ独立債を

   ロンドン証券取引所で戦費獲得の為に発行してはどうかとギリシヤの

   将軍たちに持ちかけたことから始まる。

   しかし戦がトルコ側に有利に成ると、証券は紙くずになる。

   イギリスは証券者保護の名目でトルコ海軍に戦を挑んだ。

   1827年ナバリアノ海戦である。

   ギリシヤは遂に独立を勝ち得た。

   しかし償還できないほどの巨額の債務が付いてきた。

   その後何十年とギリシヤ経済はイギリスの債権者に担保を取られた。

   バイロンのロマン主義も資本主義の下では色あせる。

   1840年イギリスは”自由貿易”という大義名分のもとで、清国に宣戦布告した。

   結果は既に承知の通り、イギリスは重砲、ロケット弾、速射砲等の新兵器、

   相手は旧式小銃では話にならない。

   香港は1997年までイギリス領であった。

   19世紀の後期清国の人口の約10%(≒4000万人)がアヘン中毒であったと言う。

  

   日本も“自由貿易”の名のもとでアメリカのペリーによって占領されそうになった。

   日本の幕末の人々の勇気に敬意を表したい。

 

   ◎政治的な偏見が一切ない市場などどう考えてもあり得ない。

     不正行為に対する制裁を法制化し、それを実行する組織を作る。

     それが政治の仕事である。

 

   2.資本主義の地獄

   A.スミスは儲けたお金で更に生産を拡大しなさい、

   設備投資や人員の雇用を増やしなさい、

   そうすれば社会全体の景気は更に拡大すると教えた。

   所が強欲な経営者の中には残業を増やし、残業代を支払わなかったり、

   賃上げをしない人も出てくる。

   また市場を独占したり、仲間と組んで商品価格を引き上げたり、

   従業員のストライキに対し色々な暴力行為を行ったりした。

   中世ヨーロッパでは奴隷制度はなかった。

   ところが近世前期司法主義がヨーロッパに台頭すると、

  大西洋奴隷貿易が盛んになった。

  16世紀から19世紀の役1000万人のアフリカ人が南北アメリカに

  連れて来られた。

  その内70%はサトウのプランテイションで働かされた。

  サトウはヨーロッパで高価で、イギリスではサトウの消費量は

  17世紀はほぼ0であったが、19世紀の始めには1人当たりの

  消費量は約8㎏に増えた。

  ココア、コーヒー、紅茶、ケーキがその中心で、そのために過酷な

  労働を強いられた大勢の奴隷が存在していたのである。

  一般に自分の楽しみのためには、他人の苦しみは以外と省みないものだ。

  18世紀の奴隷貿易の投資利回りは平均6%であったと言う。

  商売としては良い利率だ。

  しかしこれは自由資本主義の重大な欠点の1つである。

  何もしても良いという自由(新自由主義と言う様だ)は自由よりも大切なモノ

  -例えば人間の生命、尊厳など-は自由市場でも売買すべきでない。

  また奴隷を買い入れたプランテイションの主人は遠くヨーロッパに居て、

  奴隷が苦しんでいるとは少しも思わなかったに違いない。

  丁度多くのアメリカ人がヒロシマ原爆ドームを見て、古代のピラミッドを眺める

  様な感じの様に・・・。

  資本主義はこのまま続けられるか?

  社会主義の実験は80年を経て失敗した。

  後は・・・?

  確かに1914年と現在の2014年を比べると人口は急増にも関わらず、(約7倍)

  生活水準は格段に改善されている。

  しかしパイの増加には原材料とエネルギーが必要だ。

  これらを使い果たした時一体何が起こるか?

  大いなる発明か、またはCHAOSか?

 

 

(近藤哲夫)

第115話 サピエンス (5)

2017年2月23日

1.科学革命

   なぜ20世紀に科学革命がヨーロッパで発生したか?

   これは現在のところ余り説得力のある答えはない。

   なぜ20世紀か?

   なぜ2、3世紀ではなかったか?

   なぜヨーロッパか?

   中東地域ではなかったか?

  

   疑問はあるが現在正解はない。

   ハラリさんは彼なりの解を出している。

   その1つが下図である。

   科学の進歩は「研究」に依存する。・・・①

   しかし「研究」は政治や経済の「力」による支援に依存する。・・・②

   そのお返しとして「科学研究」は「新しい力」を提供する。

   その用途の1つが「資源」の獲得である。・・・③

   得られた「資源」の一部がまた研究に投資される。

 

   ①「研究」  →  ②「力」 → ③「資源」 →①「研究」 →②・・・・

 

   例えば1945年7月ニューメキシコ州での原子爆弾の爆発である。

   アメリカ政府は日独を早く降伏させる為に人類初めとなる原子力開発に

   多くの人材と資金とウラン235なる材料を提供した。

   研究成果の1つが原子爆弾という高エネルギー爆弾の完成であった。

  

   また2.3世紀でなくなぜ20世紀に発現したかについては次の3つの

   重大な形が20世紀に導いた。

 

   a.進んで無知を認める意志

 

   近代科学は「私達は知らない」という前提に立つ。

   そして私達が知っていると思っていた事柄が研究によって「誤り」が

   有る場合は「受け入れる」のである。

   どの様な考えも説も神聖不可侵ではなく、異議を差し挟む余地があるのである。

  

   12~13世紀頃までは、人々にとって重要なことは全てバイブルか

   クルアーンか仏典に書いてあるので牧師に聞けば良かったのである。

   全ての宗教が必要とする知識は全て経典に書いてあるという考えで、

   「新しい知識」は必要なかったのである。

 

   b.観察と数学の中心性

  

   近代科学は無知を認めた上で、新しい知識の獲得を目指す。

   この目的達成の為に観察を重視する。

   観察結果は数学的ツールを用いて包括的な説にまとめ挙げる。

   中世の天動説は数多くの観察によって地動説がより合理的解釈と

   されたのである。

 

   c.新しい力の獲得

 

   近代科学は説を生み出すだけでは満足しない。

   その説に従って、新しい力の獲得、新しいテクノロジーの開発を目指す。

   原子力エネルギーを電力開発に用いて電力を生み出している。

 

   人類全員が「無知」を認める事で、ムハンマドの様に「最後の預言者」

   と言う言葉が無くなったことである。

   アインシュタインも「最後の物理学者」では無いのである。

   しかし不幸にして私共は「全てを知っているわけではなく、また

   今持っている知識は仮のものである」とすれば、現代の社会の膨大な

   数の人々をどうやってまとまりを保てるか?

  

   近代の試みは下の2つの非科学的方法に頼るしかなかった。

   ①科学的な説を一つ選び、科学の一般的な慣行に反して

    「それが最終的かつ絶対的な真理であると宣言する。」

     これはナチスや共産主義者が唱えたことである。

 

   ②そこから一切の科学を締め出し、

    「非科学的な絶対的真理に即して生きる。」

     即ち人類は「特有の価値と権利」がある、

    という独断的真理に基づいて構築されている。

    今日の科学的成果とは殆ど共通点がない。

    これが自由主義、人間至上主義の戦略である。

 

   近代科学には教義はない。

   あるのは正しい観察結果を数学的ツールを用いてまとめるという

   方法論のみである。

   一方バイブル、クルアーン、仏典などは物語り形式(ナラティブ)である。

 

(1)進歩とは

   科学革命以前は、人類の文化の殆どは“進歩”というものを信じなかった。

   黄金時代は過去にあり、世界は停滞か衰退に向かっていると考えられていた。

   人類の実際的な知識を使って、この世の根本的な諸問題は克服不可能と思われた。

   ムハンマド、イエス、ブッタ、孔子さえもが、飢饉、疫病、貧困、戦争をこの世

   から無くせなかったことから、私達はどうにも出来ない。

   バベルの塔をはじめ多くの神話が人間の限界を超えようとする試みは、

   必ず失望と惨事につながることを教えてくれる。

 

   近代の文化は、まだ知らない事が多数ある事を認めること、この無知の自認と

   新しい科学の発見が結びついた時、真の進歩が可能ではないかと人々が思い始めた。

   貧困はその好例の1つである。

   21世紀の今日、生物学的貧困によって死亡することは殆ど稀である。

   一方相対的貧困(または社会的貧困)は殆どの国で増加している。

   今日、世界の人々の殆どがセイフティネットの上で暮らしている。

 

 (2)科学と帝国の融合

   コペルニクスが地動説を主張してから、太陽と地球との間の正確な距離の

   測定方法がまちまちで、宇宙の中心となる太陽の位置測定が全く信用できなかった。

   ようやく信頼する測定方法が示されたのは18世紀半ばである。

   それは、太陽と地球を結ぶ線上を何年かに1度金星が通過する、

   それを 地球上の数か所で測定すれば三角法で距離が測定できる。

 

    しかし地球上の数か所は精度を出すため出来るだけ遠くに離れた方が良い。

   1761年の観測はシベリア、北アメリカ、アダガスカル、南アフリカで測定した。

   1769年の観測は有名なジェームス クック船長の指揮による。

   単に天文学だけでなく、地理学、気象学、植物学、動物学、人類学、医学の

   膨大な量のデータを持ち帰った。

   中でも医学に於いては、これまで原因不明だった壊血病の原因がビタミンC不足

   (当時は新鮮野菜の不足)をつきとめた事である。

   一方人類学ではタスマニア島にクック船長が到着してから1世紀後には

   タスマニア人(アボロジー)は全滅した。(殆ど外来細菌のため)

  

   この遠征は科学研究なのか、軍事探査なのか区別は難しい。

   一緒なのである。

   丁度これは日本も参加している宇宙探査も同様である。

   アメリカ、ロシアは一応民間であるが、中身は軍である。

   中国は堂々と(?)軍の司令官が組織のトップである。

  

  (3)なぜヨーロッパ? なぜ中東や中国、インドではなかったか

    イギリスはヨーロッパ西部に属し、ローマ時代征服する価値さえなかった。

    ローマ時代の富は主としてバルカン半島や中東の属州から得ていた。

    ヨーロッパ西部が、軍事的、政治的、経済的、文化的発展の重要地域に

    なったのは1500年から1750年の250年の間に、アメリカ大陸と諸大洋の

    征服者になったからである。

    その頃の地中海地方はオスマン帝国、ペルシヤのサファヴィー帝国、

    インドのムガール帝国、中国の明朝であったが、これらの国々は領土を拡張し、

    人口増加と経済成長を遂げた。

    1775年のアジアは世界の経済成長の80%を担っていた。

    インドと中国とで世界の生産量の約70%を占めていた。

    従って自国以外の外に目を向ける必要が無かった。

    (このデータは2000年のデータと真逆である)

    1950年の中国の生産量はわずか5%である。

    その反面アメリカとヨーロッパが半分を占めた。

    これらは1750年から1850年にかけて、主としてイギリス、フランスは

    アジアの列強を戦争で倒し、1900年にはヨーロッパ人が世界経済を握った。

 

    今日では服装、思考、嗜好の点でヨーロッパを倣っている。

    白人反対、アメリカ反対と叫びながら、スマホを使い、ビールを飲む、

    勿論ジーパンを着て・・・。

 

    1750年以降、イギリスが産業革命で飛躍した時、フランス、ドイツそして

    アメリカが続いたのに、なぜ中国は遅れを取ったのか?

    なぜロシヤ、イタリヤ、オーストリアが差を縮めることに成功したのに、

    エジプト、オスマン帝国は失敗したか。

    1830年イギリスが鉄道を開業して、1850年には西洋諸国で約四万㎞の

    鉄道が走った。

    一方、アジア、アフリカ、ラテンアメリカでは4000㎞しかなかった。

   中国人もペルシヤ人もテクノロジー上の発明を欠いていたわけではない。

   (日本では1872年鉄道が開通した)

   彼らが不足していたのは、西洋が何世紀もかけて形成してきた価値観、神話

   司法の組織、社会、政治的構造で、それらを模倣したり、取り込む事が

   できなかった。

   例外は日本人である。

   明治時代の日本人が並はずれた努力を重ね、西洋の機械装置の採用のみならず、

   社会、政治の多くの面で西洋を手本として作り直した。

   私共日本人の後輩は、明治を造った人々のこの生き甲斐、実行力に大いに感謝

   しなければならない。

   もし明治維新が10年遅れたとしたら、ロシヤの南下を食い止める事は

   出来なかったであろう。

  

   ヨーロッパの帝国主義も同様、外側の世界を知りたいという“自分は無知”

   から出発した。

   それ以前の帝国主義はローマ人もアラビヤ人も“自分達の世界観”を広める

   という近代の帝国主義とは真逆の考え方であった。

   かつてイスラム教徒がインドを征服した時、考古学者を同行させて、体系的に

   インドの歴史を調べたり、人類学者が文化を研究したり、地質学者が地質を調べたり、

   動物学者が動物相を調査したりしなかった。

   ところが1802年イギリスがインドを征服した時、これらを全て行った。

   即ち、インド全体の地図の作成、歴史の調査、インド古語の調査を行った。

   なかでも紀元前3000年頃栄えたモヘンジョ・ダロの遺跡の発掘を行った。

   (インダス文明の確認)

  

   科学者は帝国主義の事業に、実用的な知識や、イデオロギー面での正確性、

   テクノロジー上の道具を与えてきた。

   このことがヨーロッパ人の世界征服に大いに役立ったのである。

   また魅力的な科学プロジェクトに支援し、科学者に報いた。

   これらのギブ アンド テイクによって近代科学は大いなる進歩を遂げた。

   当然のことながら、こられの進歩を金銭面で支援する資本家がいなければ、

   コロンブスのアメリカ発見も、二―ル アーム ストロング船長の月面の

   第一歩は無かったのである。

   資本主義という力が帝国と科学を結びつけたのである。

 

 

(近藤哲夫)

第114話 サピエンス (4)

2017年2月14日

 1.宗教

   社会秩序とヒエラルキーは全て想像上のものだから、

   みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど脆くなる。

   宗教はこうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだった。

 

  *ここでの宗教とは「超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と

    価値観の制度」と定義している。

 

   従って人間が作ったルールではなく、神や自然が造った秩序である。

   これを信奉し、その信念を広げなければならない。

   そういった意味で仏教、キリスト教は信奉と宣教の両方を行っている。

   一方イデオロギーと呼ばれる共産主義、資本主義、自由主義も全て

   この宗教に含まれる。

   マルクス主義の「歴史の法則」は人間が決めたものではないので

   「超人間的」である。

   農業革命はこの宗教革命を伴ったようだ。

   狩猟採集民はアニミズムを信じ、木や動物等の霊を考慮に入れていた。

   そこには超人間的存在は無かった。

   農業革命は一箇所に居る為に農業、軍事、交易など協働作業を

  せざるを得なくなり、それがうまく行く為にそれを司る、

   例えば雨の神、医療の神、軍神など超自然のものに頼った。

   これが多神教の始まりである。

   一神教は1人の至高を尊ぶが、多神教は多くの力の限られた

   神的存在を尊ぶ。

   多神教徒は他の宗教者を迫害することはめったにない。

   一神教はよく迫害し、よく宗教戦争を起こす。

   (特にカトリックとプロテスタントの戦争はすごい。

    バルトロマイ(フランス)の虐殺はプロテスタントを

    1日で5000~10000人殺した。1572年8月)

   ここ1000年の間に一神教は戦争によって自分の立場を強めてきた。

 

  ハラリさんのまとめたのが下である。

    人間の規範と価値観              ・サッカー

    宗教                                        ・イスラム教

                                                   ・仏教

                                                   ・共産主義

                                                   ・資本主義

   超人間的な秩序の信奉         ・相対性理論

   このまとめを見て、私はふと頭によぎった。

   イスラエルの人々はなぜこの様に高くに考えることが出来て、

   さらにそれをまとめ上げることができるか?

   長年の民族の血骨に宿るものか?

   迫害され楚国を追われた民の宿命的思考か?

  

   仏教と共産主義、資本主義を同じにまとめる発想は全く面白い。

   いずれも坊主は居るし、教典は有るし、宣教はやっている。

   ここではイデオロギーも宗教も同じである。

 

 (1)人間の崇拝

   今日のアメリカ人の典型は「国際主義者」である。

   歴史の中に果たすべき特別な役割を持ったアメリカ国民の

   存在を信じている。 ・・・なるほど!世界のポリスマンか。

   と同時に「自由主義の人間至上主義者」である。

   人間には奪う事の出来ない特定の権利を造物主より授けられた、

   と信じている。

   人(ホモサピエンス)は他の動・植物とは異なるものと見ている。

   キリスト教だなァ。 ・・・至高の善はホモサピエンスの善か!

  

   人間至上主義者は「人間性を崇拝」するが、その「人間性」には

   意見が分かれる。

   (a)最も多いのは「自由主義の人間至上主義」で「人間性は個々の人間の特性」

        個人の自由はこの上も無く神聖で、ホモサピエンス1人1人に宿っている、

        と考えている。

        これが倫理的・政治的権力の源泉となっている。

        もしジレンマに直面したら「内なる声・・・人間性の声を聞け!」か。

        これをまとめて「人権」と言う。

        だから死刑、拷問に反対か。

        しかし近代前期までヨーロッパでは公開処刑が当たり前で、

        これが民衆の娯楽でもあった。

 

  (b)社会主義的人間至上主義

       「人間性」は個人的なものではなく、「集合的」なものと信じている。

       ここでは最大の自由(aの様な)を求めるのではなく、

       「全人類の平等」を求める。

       不平等は人間の尊厳に対する最悪の冒涜であると言う。

       貧しい者より富める者を優遇すれば、人間の普遍的本質よりも

       お金を重んじる様になるからだという。

 

   (a)も(b)も一神教を土台に築かれている。

    あらゆる人間が平等であるという考え方は、あらゆる魂は神の前に平等

    であるという一神教の信念そのものである。

 

   (c)進化論的人間至上主義

    「人間性」は変わり易い種の特性だ。

    人類は人間以下の存在に退化するとも、超人に進化する事もありうる、

    と信じている。

    その典型はナチスである。

    ナチスの最大の野望は人類を退化から守り、斬新的進化を促すことであった。

    だからこそ最も進んだ形態のアーリア人種は保護しなければならず、

    その反面、ユダヤ人、同性愛者、精神障害者の様な退化したホモサピエンス

    は隔離され、更には皆殺ししなければならないとナチスは主張した。

    ネアンデルタール人の様な「劣った」個体群は絶滅したではないかと・・!!

    この人種論(アーリア人優遇)は1945年以降の遺伝子研究によって

    人種間の相違はナチスが考えていたよりもはるかに小さいことが立証された

    1931年頃はまだ立証されていなかった。

    しかし、1980年頃まで白人優遇主義はまだ残っていた。

    (南アフリカ、オーストラリア)

   1960年代のアメリカ、特に南部では白人優遇主義がまだまだ強かった。

   中国人、アフリカ人は下等と見られ、ホテルのトイレまで別であった。

   私の体験ではQC世界大会がシカゴのホテルで開かれた時、

   カラードと書いてあるトイレに入ろうとしたら、受付のおばさんが

   「日本人か?」と聞いてきた。

   「そうだ」と言ったら、「こちらに入れ」と白人の方に案内し、右手を出し

   チップを要求された。

   後で聞いたら、日本人は準白人だそうだ。

   なぜならチップを出すからだそうだ。

 

   生存競争に生き残るための戦は適者生存と言われ、ナチスの信条であった。

   21世紀、フランス、ドイツではネオナチと呼ばれる群衆がうごめいている。

   自分が適者と信じるのはウヌボレでもなんでも良い。

   しかし不敵者と烙印を押された立場を一度は立ち止まって考えて見て欲しい。

   これは一応デスクリミネーションに合った人間の切なる願いである。

   (Discrimination 人種差別)

 

 (2)歴史は「二次のカオス系」である

 

   歴史は決定論的な法則に縛られていない。

   物理現象においては決定論的な現象が殆どである。

   それ故 F=m・a という数式に表される。

   ところが歴史は決定論では説明できないし、混沌(カオス)としているから

   予想も出来ない。

   いわゆる「カオス系」である。(カオス系でも数式で表現できる)

   「カオス系」は「一次カオス系」と「二次カオス系」の二種類ある。

  

   「一次カオス系」は予想に反応しない。(人間の意志に無関係)

   例えば天気予報である。

   「二次カオス系」は予想に反応する。

   例えば市場である。政治もそうである。

   予想可能な革命は決して勃発しない。

   ではなぜ歴史を研究するのか?

   それは未来を知る為ではなく、視野を広げ、想像以上の多くの可能性

   があることを理解するためである。

   (A.トインビーは“どうも歴史には回帰性が有る様だ、満州事変は

    カルタゴ戦役と同じではないか?”と日本の友人に語ったという)

 

   人間には歴史が行う選択は説明できないが、1つだけ重要なことが言える。

   それは、

   歴史の選択は人間の利益のためにされる訳ではない

 

   歴史が歩を進めるにつれて人間の境遇が必然的に改善される

   という証拠は全くない

   キリスト教の方がマニ教より優れている証拠はない。

   このことは「何が良いか」という客観的尺度がナイからである。

 

  「文化」が人間(宿主)に取りつく寄生体(ミーム)なのか、

   または他者につけ込むために一部の人が企てた陰謀なのかは、

   (マルクス主義者はこの様に捉えている)

   議論の余地はあるが、“人間にとって有益である”

  (一部の人ではなく個人にとって)

   ということを基本に置かねばならない。

   これまで“人間にとって有益”(国民主義)と言われたことが

   一部の人間にとってのみ有益だったのかが人間の歴史であった。

   歴史の中で輝かしい生光を収めた文化がどれもホモサピエンスにとって

   最善のものであったと考える根拠はないのである。

   これは進化も同じで、個々の生き物の幸福には無頓着である。

 

(近藤哲夫)

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