第29話 「あるべき姿」の訓練(2)
2013年7月23日
その後も鈴村さんに尋ね続けた。どうすれば「あるべき姿」を描けるか?
この質問に対し、鈴村さんの答えはいつも同じであった。
「それはお前自身の問題だ」
「俺は夢の中にあるべき姿を見たぞ、お前は夢を見たか!」
「夢を見るのは命を掛けるほど真剣に考える事だ!お前は真剣さが足りない!」
「現場を千遍も万遍も見ろ!」
「夢に出てくるほど真剣に考える」とは「どの様に考える」のか?
その頃、禅寺で座禅をしたこともある。福井の永平寺には2度立ち寄った。道元禅に関する本は数冊読んだ。
その時思いついたのは「道元は悟るために命を掛けたのだ」と。
しかし、「あるべき姿」への接近には上手くいかなかった。
ただ、「人生料理の本」-典座教訓にまなぶ-内山興正 は具体的で現在も愛読している。
その頃(1971年の年末)ジョージア工科大学(GIT)の友人が来日し、酒を一緒に飲んだ。
その時、わたしが「今悩んでいるのは『あるべき姿』がどうしても描けないということだ」と話した。
その時彼が私にアドバイスしたのは以下のことであった。
「GITのThe History of Engineeringのセミナーを思い出すなァ。」
このセミナーは不定期で9月から11月まで数回あった様だ。
その頃、大学院ではParadigmなる語が流行していた。
和英辞典を引いてもピンとこない。(『範例』とあった)
友人に聞いてみるとハーバード大学で流行しているとのことだった。
また、その友人の勧めで上記のセミナーに3回ほど出席した。
そのセミナーの内容は殆ど忘れたが、今でも思い出すことはいくつかある。
①“Paradigm”はトーマス・クーンという学生のハーバード大学での博士論文にでてくるとのこと。
(この論文は『科学革命の構造』(みすず書房)として出版されている)
2013年の今日、パラダイムは日本語として数多く使われている。
しかし、1967年頃、GITでは一部でしか使用していなかった。流行は早いモノだ。
②未来を考えるのは『未来の長さだけ過去を遡れ』
歴史は連続している。一見不連続に見えても、その基礎部分(Fundamentals)は連続している。
特に科学、技術は全て、先人の業績の上に乗って進化している。
ニュートンの前にはガリレオがいるし、ガリレオの前にはティコ・ブラーエがおり、コペルニクスがいる。
何がFundamentalsか?それは文明であり、人口であり、またこれまでの科学技術であり、資源である。
③産業革命(Industrial Revolution)はイギリスで、1750年頃始まった。
そして、その大きな変化をIndustrial Revolutionと命名したのは経済学者のArnold Toynbeeである。
一方、種々の機械の発明、例えばグーデンベルグ(ドイツ、1450年頃)による金属活字による印刷術の発明、
ヘンライン(ドイツ、1500年頃)によるゼンマイ時計の発明、ヤンセン(オランダ、1590年頃)による
顕微鏡の発明等がヨーロッパで拡大した。
「発明が産業を拡大した」という意味で、産業革命は15世紀に始まった、という学者もいる。
現在(2013年)は第3次産業革命とか第5次産業革命とか言う人々の多くは、この
発明によるものだと思う。
堺屋太一は産業革命について3つの仮説を提示している。
〈1〉競争仮説:経済競争による累積効果 :A.トインビー
〈2〉発明仮説:発明による効果 :数多し
〈3〉所得仮説:所得の急激な上昇 :堺屋太一
現在の歴史の教科書では〈1〉が主流の様だ。
このセミナーの時、私がA.トインビーは歴史学者ではないか?と質問した。
その時、教授は笑いながら、「アーノルド・トインビーは2人いる。
経済学者の方が今のトインビー(その時はまだ生きていた)のおじさんだ。」と答えた。
④技術(このときはテクノロジーといった)は伝播する。
そして(私の方を見ながら)現在(1967年頃)『日本はモノマネ技術』とアメリカ人が揶揄しているが、
技術はもともとそのようなモノだ。
例えばアメリカの繊維産業はスレーターという人がイギリスで設計図を盗み、底に隠して取ってきたものだ。
イギリスだって、フィレンチェで織機の設計図を盗んで持ち帰り、イギリス繊維産業の機械化を行った。
日本の技術もいずれは後進国(発展途上国のこと)にその技術を奪われるだろう。
このフレーズだけは今日(2013年)も覚えている。
当時は日本の技術者として肩身の狭い想いだったが、歴史を辿るとどこでも同じ様なことをしていると
一安心したものである。
その時、これからの日本の生産技術をアメリカに無いモノをどうして造るかが自分の決意だった。
大野さんの弟子になった頃、会社は社長以下(専務を除いて)殆どが反対であった。
「アンドンとかカンバンとか、江戸時代の語を使って、お前はどこが気に入った?!」
が多くの人々の当時の反論であった。
しかし私はこの方式(当時は大野方式と呼んでいた)こそが
アメリカに無い生産技術、製造方式だと思っていた。
「あるべき姿」を考えるのに2つのことを行った。
1つは、「現場を千回廻る」こと。
廻る度に「自分は何も知らない」と口で唱えて、頭を真っ白な状態にして(そのようにしたつもりで)
毎回現場を廻った。(無心になって観ると禅では言うらしい)
2つ目は、「イギリスの産業革命をもっと知ろう」と色々な文献を探った。
また、転職後、グラスゴーの郊外に工場を建設したので、グラスゴー大学、造船所、リバプール、
マンチェスター等にしばしば行ってみた。
歴史を垣間見ると、特に技術の歴史は、基礎技術、発展(あるべき姿を新機器に求めるか、
マーケットに求めるか)完熟、そして終焉を迎える、この繰り返しであることが分かる。
この様にして大野さんに追い込まれて4ヶ月が経った。
2月の終わり頃ある夢を見た。
仲間の技術者が溶接ラインで仕事をしている。「何をしている?」と質問すると、
「クラウンセダン治具の検討をしている」と言った。
その当時、クラウンセダンは関東地方のタクシー会社への供給で、1ヶ月200から300台しか作っていなかった。
その日、サブリーダーの守屋課長に昨日の夢の事を話した。
彼が「それは溶接ラインをクラウンとセンチュリーの混合生産することではないですか。」
私が「溶接ラインの混合生産は、トヨタではどこも行っていないし、世界でも無いよ。精度の問題も大きいヨ。」
彼が「どの位精度が変わるか一度トライしましょうヨ。」
これが世界初の異車種を1つの治具の上で混成生産する始まりであった。
それまで塗装ラインは殆ど混合生産で、一部についてはセンチュリーの床にロボットを計画していた。
組立はクラウン対センチュリーの工数比は1対5位であった。
組立は別ラインでいく、と決めた。
残りは溶接ラインをどうするかであった。
工数比はクラウン1に対しセンチュリー1.5である。
この0.5さを縮めるには工数低減改善と、クラウン対センチュリーの日々の生産台数比を多くして、
センチュリーの工数を少なくすることである。
私のシミュレーション月産台数クラウン1500台、センチュリー80台で
目標の六十万円原価低減が可能であった。
クラウン2000台にするとセンチュリーの工数は目標を超えて、△6時間という数値になった。
それほど工務、運搬、検査、保全といった固定工数が多いということであった。
目標工数はゴールではなく、その途中の一里塚であることが分かった。
産業革命でリチャード・アークライトが始めて近代的工場を造ったといわれている。(1768年)
何が近代的かと言われると、当時の工場は労働者が勝手に自分の好きな所で、好きな時間働いていた。
アークライトはこれに対し、まず機械を工程別に並べて、工程間に少しの在庫を置いて生産を開始したのである。
混合生産は場所のみの混成ではなく、機械も混成にするのが本来の姿である。
これで生産開始した時、大野さんが私に対し笑ってみせた、と同時にアメリカでやっていないことを
やったという充実感を覚えた。
(近藤 哲夫)
第28話 「あるべき姿」の訓練(1)
2013年7月09日
近年、「あるべき姿」について講演を行うと、必ず質問に出てくるのは「どの様に教育訓練すれば良いか?」である。
特にホワイトカラー改善を実施したい企業や地方公共団体や、部課長教育の場の講演では必ず質問される。
私の結論は「あるべき姿の訓練」≡「考え方の訓練」
と言っている。(≡)は数学における「合同」(全く同じ)ということである。
この考え方に到着するのは、いくつかの前提がある。
まず第1は「教育」と「訓練」の違いである。
50年前、大野さんは以下の様に言っていた。
『「教育」は「知らない事を教えてもらう」ことであり、先生が生徒に教えるものである。
主として座学である。
「訓練」は「本来知っていること(又は潜在的に知覚していること)を再び呼び起こして、より完全なモノにすること」である。
この場合、先生は生徒が呼び起こすための補助者であり、あくまで体得は本人がするものである。』
即ち「教育」が頭で覚え、「訓練」は体で覚える、体得である。
「あるべき姿」は正に「訓練」によって、自己の錆ついたポテンシャリテ―の錆を取り、呼び覚ますことである。
第2は「あるべき姿」について鈴村さんが私を叱ったのは、
「リーダーとしての将来こうありたいという意志」が不足していたことであった。
この「リーダーとしての意志」が「あるべき姿」として具体化する。
第4話はこのことを書いている。
第4話はセンチュリーを1台当り60万円原価低減する話である。
当初私は、「あるべき姿」とは「60万円原価低減目標の達成」だと思っていた。
それを鈴村さんに言うと「馬鹿者」と一喝された。
「お前はリーダーだろう。リーダーならメンバーに将来の道、方向性を示すべきだ。
そうでないと、メンバーはなにを やって良いか分からないぞ!」
「数字だけなら現場を知らない連中だってできるぞ!」
「その方向性こそが60万円低減するあるべき姿だ!」
「お前は何も考えていないじゃないか!意気込みだけでは仕事出来ないぞ、考えろ!」
近年いくつかの会社を訪問すると、私が40数年前に失敗した事柄に出会う。
まず数値目標ありき、その達成目標の具体的方向性=あるべき姿は表面に出てない。
多くの若手社長はじっくり聞くとそれぞれあるべき姿をお持ちではあるが・・・
私は幸いにして大野さんによって「考え方」を考えざるをえない状況に追い込まれ、5ヶ月間も答えを言わずに
毎月「まだ考え方が甘い」と言われ続けた。鈴村さんからは「それでは現場はどの様に変わるか?」と
厳しい質問を毎回投げつけられた。
5ヶ月後の溶接ラインの混合生産というあるべき姿に到達した。
私が「あるべき姿」を垣間見たのは2人の恩師の賜物である。
良い師匠に恵まれて「あるべき姿」を垣間見ることが出来た。
最近、いくつかの会社を拝見すると「数字先行型」が非常に多い。
これでは実際に改善する側はタマラナイネ。
「あるべき姿」の要件として、
①具体的である。
例えば「混合生産」の様に誰でも理解可能である。
②全体最適である。
それを達成すると目標は勿論、お客様も、従業員も、共にWIN-WINの関係になる。
部分最適は共にWIN-WINの関係にならない。
人間はとかく限定合理性である。極論すると「自分さえよければ良い」では全体最適は生まれない。
これを無くすことがリーダーの役割である。
③数値目標は「通過点」であることが分かる。
「あるべき姿」に向かって改善を進めていくと、数値目標を超えてしまい、新しい目標に
チャレンジ出来る様になる。即ち改善が継続して続く様になる。
それでは、これらの要件を見つけるにはどうすれば良いか。それは次回で説明する。
安岡正篤先生は「考える」に3つの原則を提唱した。
1.目先にとらわれず長い眼で観る
2.一面だけを見ずに広く、深く、多面的、全体的に観る
3.根本的に考察する。枝葉末節にこだわるな。
この3つの考え方こそが、私にとって「あるべき姿」を描く根本的な考え方であった。
この3つを私なりに解釈した。
1.長い眼で将来を観ることは、その時間分だけ過去を視ることではないか。過去の歴史
はどうなっているのだろうと技術の歴史、人物の歴史に興味を持ち、他工場や博物館を見学した。
2.多面的、全体的に観るのは難しい。
私は「考え方」について50冊以上の本を読み、セミナーに出席した。
それでも上手くいかない。
良い師匠、良い友人に恵まれることが一番良い方法と思う。
これらについては別途説明する。
3.根本的考察
これには5WHYのトレーニングを自分に課すことである。
大野さんの5WHYは単線であるが、ゴールドラット(GOLDRATT、ザ・ゴールの著者)
は複線のケースも紹介している。
(私もたまに複線に出会ったことがある。)
(近藤 哲夫)